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ビジネス倫理学とは何か?(理論編)

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「どうすれば誠実な人生を送り、犯罪者にならずに済むか」。ハーバード・ビジネス・スクールの経営管理論では、学生たちに向けてこんな問いかけがなされる。イノベーションのジレンマで知られる、クレイトン・クリステンセン教授の授業である。そう問いかけたくなるのも無理はない。卒業生たちの多くが経営者として成功する一方で、不正会計やインサイダー取引などに手を染め逮捕される者も少なくないからだ。教授は、人生で重要な倫理的葛藤(ジレンマ)に直面したとき、どうしたらよいのか、を学生たちと議論していく。その中身には立ち入らないが、本になっているので、ぜひ一読してほしい(『イノベーション・オブ・ライフ』(翔泳社、2012年)。

ここで言いたいのは、今ではビジネススクールの経営管理論でさえ倫理を扱っている、という事実である。

ビジネスに倫理は必要

もちろん、ビジネルスクールにも、倫理を対象にした「ビジネス倫理学(Business Ethics)」という科目がある。この科目は、1898年頃アメリカで初めて設けられたが、その頃から、「ビジネス倫理学」など語義矛盾ではないか、と批判されてきた。「ビジネス」は第一に利益を追求するのに対して、「倫理」はその追求に「待った」をかけ、利益でない価値を追求するから、ベクトルが反対を向いている。なぜビジネスに倫理が必要なのか、と問われてきた。

ところが、この状況を一変させたのが、2001年のエンロン事件である。不正会計が明るみになり、エンロン社は破綻した。「待った」をかけるはずの監査法人も証券取引委員会も、その機能を果たさなかった。これを受けて、2002年に成立したサーベンス・オクスリー(SOX)法では、「上級財務担当役員の倫理規定」という項目が設けられ、役員自身が組織の倫理に関心をもつべきだ、と考えられるようになった。この法律は、アメリカの証券市場に上場している日本企業を含め、世界中の企業に大きな影響を与えている。今や、ビジネスに倫理が必要なのは当たり前になりつつあるのだ。冒頭のクリステンセン教授の授業はそれを物語っている。

倫理はビジネスを成功に導くか

倫理はビジネスを成功に導くことがある。ジム・コリンズらの『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP、1995年)では、ソニーをはじめ、倫理を重んじる企業が長期的には競争に打ち勝っていることが示されている。また、坂本光司の『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版、2008年)では、「社員の幸福を通じて社会に貢献すること」を第一に考え、増収増益を続ける、伊那食品工業が紹介されている。

だからといって、倫理は必ずしもビジネスを成功に導くわけではない。1995年アメリカのモルデン・ミルズ社(ポーラテック社の前身)の工場火災を一例として挙げたい。同社は本拠地があるマサチューセッツ州ローレンスに残った最後の主要織物企業であり、火災は従業員だけでなく、住民や地元企業にとっても重大事だった。当時CEOのアーロン・フォイアスタインは大きな決断を下した。本拠地の移転も事業の中止も行わず、同じ場所に再建し、さらに3000人の従業員に対して復帰まで賃金を支払い続けることを約束したのだ。彼が下した決断は、倫理的な模範として国内外から賞賛された。ところが、同社は再興できず、フォイアスタインはCEOを解任されてしまった。

フォイアスタインの選択は間違っていたのだろうか。2015年のボストン・グローブ誌のインタビューで、90歳になる彼は、「自分の人生に満足している」と言い切っている。倫理は必ずしもビジネスを成功に導かないが、人生を成功に導く力をもつかもしれない。

私たちはビジネス倫理を既に実践している

では、ビジネスに倫理が必要であるとして、それ以上のどんな知見を「ビジネス倫理学」という学問から得ることができるだろうか。

この問いは重要だ。私たち自身が、日々の業務のなかで、倫理的葛藤に直面し、フォイアスタインのようにとは言えなくとも、自分たちなりにそれを解決してきているからである。たとえば、自分の倫理観に反することを上司から命じられたときや、顧客の不条理な要求に応えるとき、などがそうである。それに服従する、抵抗する、無視する、誰かに相談する、いずれにせよ、私たちは自分たちなりの解決を与えてきている。この点で、私たちは誰しもが、ビジネス倫理を既に実践していると言えるだろう。それ以上のどんな知見が、この学問に期待できるだろうか。

倫理学=倫理+学

これに答えるため、ビジネス倫理学が、生命倫理学や環境倫理学と並ぶ、倫理学の一分野であることを強調したい。倫理学には二つの特徴がある。一つめの特徴は、倫理学がたんに倫理でなく、倫理+学だということである(高校の科目は「倫理」だが、大学の科目は「倫理学」であることには、それなりの理由があるのだ)。

倫理学は、倫理的葛藤に対する私たちなりの解決を多くの人々と共有し、評価し、できるだけ筋を通して考える点で、学問であろうとする。そうしなければ、独りよがりになってしまうからである。私たちが下した解決を共有することで、他の人々の役に立つこともある。また、評価することで、「これしかない」と思った解決に他の選択肢があることや、周囲から賞賛された行動が思いもよらず非難される可能性に気づくこともある。そして、できるだけ筋を通して考えることで、私たちの解決を体系化し、理論を構築することができる。ビジネスにおいては、この理論というレンズを通してしか見えない、私たちの業務や企業としての活動の側面があるのだ。

たとえば、功利主義と呼ばれる理論がある。この理論によれば、ある行為の正しさの基準は、その行為ができるだけ多くの人々をできるだけ幸福にしているかどうかにある。この基準は「最大多数の最大幸福」と呼ばれ、人数の数え方や幸福の計測、集計、比較の仕方も、現在では精緻化されている。ビジネス倫理学でも、業務内容や企業活動に対して、たんなる賞賛や非難ではなく、こうした基準によって、正当な倫理的評価を与えることができる。それがいわば「裏付け」となり、他の人々にも役立つことを保証したり、非難される可能性を低めたりする。

倫理学は哲学でもある

二つめの特徴は、それが哲学の一種だという点にある(倫理学は「道徳哲学」とも呼ばれる)。倫理学は、ビジネスにおける私たちの倫理観を鵜呑みにせず、その根拠を問い直すという点で、哲学であろうとする。なぜ私たちの倫理観の根拠まで問い直す必要があるのか。倫理というのものが、「これをしてはいけない」、「あれをすべきだ」、というように権威を振りかざしてしまいかねないからである。倫理の権威が振りかざされる状況にあっては、その根拠を問うことすら「反倫理的」にされてしまう。そうならないように、哲学としての倫理学はその根拠を問い、その権威が正当であるかを吟味するところに、大きな意義をもつ。

ビジネス倫理学も哲学の一種である以上、私たちがこれまで実践してきたビジネス倫理から距離をとり、時には対立さえしようとする。たとえば、顧客のどんな要求にも応えるべきだ、としてきた企業は多いだろう。しかし、なぜ不条理な要求にも応えるべきなのか、あらためてその根拠を問い直してみてほしい。顧客を最優先にすべきだ、という倫理が権威を振りかざしていないだろうか。これからは、顧客よりも社員を優先する企業があってもいい。これまでのやり方にこだわらない点で、ビジネス倫理学は「進取の気風」に富んだ学問なのである。

ビジネス倫理学の意義

今やビジネスに倫理が必要な時代である。だからこそ、そうした倫理が独りよがりにならず、権威を振りかざすことのないよう、学問としてビジネス倫理学を行なっていく意義があると言えるだろう。