未来の世代に何ができるのか?──世代間倫理における正義と責任(前編)
企業の社会貢献・連携の指針として「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals: SDGs)が参照されることは、すでに常識になっている。SDGsは2030年までの達成を目指す各分野の目標によって構成されているが、そのなかには、さらに遠い未来を見通す社会課題も含まれている。いうまでもなく、市場経済は高度に複雑化しており、一瞬先の未来を予測することも容易ではない。だからこそ、そうした目の前の情勢の変化に左右されることのない、哲学的な原理が改めて求められている。
哲学の領域において、遠い未来への道徳的な配慮を扱う分野は「世代間倫理」と呼ばれ、そこには一定の議論の蓄積がある。本記事ではその代表的な理論を紹介し、私たちの未来を考えるための鍵を探ってみたい。
世代間倫理とは何か?
結論からいうと、世代間倫理は哲学の領域でも決着のついていない、極めて困難な問題である。それは現代哲学が抱える最大の難問であるといっても過言ではない。
伝統的な哲学の議論において倫理が問題となるとき、人間関係は常に相互的であることが前提とされていた。相互的であるということは、一方が他方に働きかけることができれば、反対に、他方も一方に働きかけることができる、ということだ。たとえば殺人を許すことは、私が他者を殺すことができるだけでなく、他者が私を殺すことをも可能にしてしまう。したがって殺人は禁止されなければならない。こうしたロジックを成り立たせているものこそ相互的な人間関係に他ならない。
しかし、現在世代と未来世代は相互的な関係に置かれていない。なぜなら、現在世代は環境破壊などを通じて未来世代に損害を与えることができる一方で、未来世代は現在世代に損害を与えることができないからだ。したがって、世代間倫理を殺人の禁止と同じロジックによって説明することはできないのだ。
そうであるにも関わらず、私たちの社会には遠い未来にまで影響を与えうる要因が多くある。たとえば高レベル放射性廃棄物は10万年間にわたって自然界に危険な影響を与え続ける。そのためそれは10万年間にわたって安全に管理・処理し続けられなければならない。もしも最終処分場で事故が発生し、放射性廃棄物が漏出してしまったら、その周辺は生物の住めない環境になってしまう。しかしその事故が発生するのは5000年後でもありえるのだ。そうである以上、最終処分場を建設する現在世代は、5000年後の未来世代に対して道徳的な配慮をしなければならなくなる。
しかし、そもそもなぜそんな配慮をしなければならないのだろうか。なぜ、私たちと相互的な関係になく、私たちにとって何の利益ももたらしてくれない未来世代を尊重しなければならないのだろうか。この問いに対して納得できるロジックを構築できるか否かが、世代間倫理の究極の課題である。
「正義」か、「責任」か
世代間倫理の説明は、未来世代への道徳的な配慮をどのような概念によって考えるかによって、大きく変わってくる。そうした概念は大きく分けて二つある。「正義」と「責任」だ。
「正義」は哲学の歴史においてもっとも古い概念の一つである。その伝統的な定義として知られているのは古代ギリシャの哲学者アリストテレスによる「各人に各人のものを」という箴言だ。同時に、正義は現代社会の倫理として特に重要な概念でもある。今日の社会は価値観の多様化・複雑化を極めており、なにを「よい」と考えるかを画一的に決めることなどできない。だからこそ、様々な価値観の人々が共生できるよう、特定の価値観を差別したり、排除したりしない、ということが重要な倫理学の課題になる。こうした多文化共生の理念は一つの正義として説明されなければならない。
これに対して「責任」は倫理学の概念として比較的新しいものである。20世紀の哲学者であるマクス・ウェーバーは倫理学の原理を「心情倫理」と「責任倫理」に区分した。ウェーバーに拠れば、心情倫理が行為の動機を重視する倫理のあり方であるのに対して、責任倫理は行為の結果を重視する倫理のあり方である。すなわち、良かれと思って行ったことでも、結果として損害が生じたなら、それは償われなければならない、と考えることが責任の基本的な考え方である。
正義と責任とでは適用される人間関係のモデルが微妙に異なる。正義が適用されるのは主として対称的な人間関係においてである。すなわち、同じ資格や権利をもっている人々のなかで、誰かが不当に資格や権利を侵害されないことが、正義に他ならない。これに対して責任は非対称的な人間関係に適用される。たとえば電車の運転手は、その乗客の生命を左右する極端に大きな力をもつため、乗客と非対称的な関係にあり、だからこそ乗客に対して責任を負うのである。
世代間倫理は、現在世代と未来世代の間に正義を実現させる、という方法で考えるか、現在世代が未来世代に対して責任を負っている、という方法で考えるかによって、方向性が異なってくる。しかしどちらを取るにしても簡単に答えを出すことはできない。後編では、現代の様々な哲学者がどんなロジックによって世代間倫理を考えていたかを紹介していこう。