未来の世代に何ができるのか?──世代間倫理における正義と責任(後編)
世代倫理の理論は正義に立脚するものと責任に立脚するものに大別される。前編で述べた通り、世代間倫理は伝統的な哲学の考え方では解決できない問題であり、やや複雑なロジックを組み立てる必要がある。その際、正義を掲げるか、責任を掲げるかは、ロジックの方向性を大きく左右することになる。後編では、正義を掲げる哲学者として、ジョン・ロールズとシュレーダー・フレチェットを、責任を掲げる哲学者としてハンス・ヨナスとカール=オットー・アーペルを紹介しよう。結論から言えば、世代間倫理について考えることは、私たちの社会がどうあるべきかを考えることに等しい。これらの哲学者はそうした社会の大きなデザインを描き出してくれるだろう。
ロールズの正義論
ロールズは主著『正義論』において、正義を社会が発揮すべき効能として位置づけ、その基本的なルールの一つとして「格差原理」を提唱した。それは、「社会的・経済的不平等が最も不遇な人々の期待便益を最大に高めること」として定式化されている。これは大富豪から高額な税金を徴収し、貧しい人々に富を再配分することを正当化するロジックに他ならない。すなわち、大富豪に対してだけ高額な税金を課すことはある意味で「不平等」であるが、しかしそれが貧しい人々の生活水準を「最大化」するためであれば、それは格差を是正するための「正義」として肯定される、ということである。
ロールズはこの格差原理に付随するルールとして「貯蓄原理」を挙げている。社会は一瞬の間にだけ存在するものではなく、人々が長期間にわたって協働することで実現されるシステムである。したがって、富の再配分は現在の世代の間だけではなく、未来の世代をも視野に含めたものでなくてはならない。そうである以上、未来の世代の富を奪いつくさないこともまた、一つの正義なのだ。こうした観点からロールズは富の「貯蓄」の必要性を指摘するのである。
フレチェットの「恩」概念
ロールズの貯蓄原理は政治哲学の領域にはじめて世代間倫理の議論を導入した。その思想を継承し発展させていったのがフレチェットである。前編で指摘した通り、世代間倫理を考える際の最大の問題は、現在世代と未来世代との間に相互性が見いだされないことである。これに対してフレチェットはこに疑似的な相互性を見出そうとする。その鍵となるのが、日本的な概念である「恩」に他ならない。
フレチェットに拠れば、現在世代は過去の世代から様々な財産を得ているのであり、それは「恩」を受けている状態である。「恩」はあくまでも返されなければならない。しかし過去の世代はもう存在しないのだから、過去の世代に恩返しをすることはできない。だからこそその恩返しは未来世代へと財産を残すことでしか実現されないのだ。こうしたロジックによって、フレチェットは未来世代への道徳的な配慮を一つの正義として説明するのである。
ヨナスの責任原理
ロールズとフレチェットは正義を原理とした世代間倫理を説明し、本来は相互的な関係がないかのように見える現在世代と未来世代の間に、疑似的な相互性を作り出すロジックを展開している。これに対して、相互性に依拠しない道徳的な配慮のあり方を説明し、ここから未来世代への責任を基礎づけたのが、ヨナスである。
主著『責任という原理』において、ヨナスは責任を弱いものへの直観的な配慮として説明した。私たちは目の前に傷ついた者がいたら、手を差し伸べなければならないと感じるのであり、そこに相互的な関係は必要ない。したがって、たとえ現在世代と未来世代の間に相互性がないのだとしても、それは未来世代への責任を阻害する理由にはならない、とヨナスは主張するのである。
アーペルの討議倫理
討議倫理の哲学者として知られるアーペルは、ヨナスがあくまでも責任を直観的な倫理として基礎づけたことを批判する。何故なら、責任が直観的な概念であるとしたら、それを感じることができない者は議論から外れてしまうからだ。これに対してアーペルは、ヨナスとはまったく違った仕方で、未来世代への責任を基礎づけようとする。
アーペルに拠れば、あらゆる規範は人々の合意によって基礎づけられなければならず、その合意は自由な討議によって実現されなければならない。しかし、現実の社会には様々な制約や差別があり、そうした自由の討議の場が実際に存在するわけではない。だからこそ、そうした場が未来において実現されるよう、現実の社会を漸次的に改善していかなければならない。こうした観点からアーペルは、私たちが自由な討議を理想とする限り、私たちは必然的に未来世代への責任を負うと主張するのである。
私たちはどんな社会を望むのか
これまでロールズ、フレチェット、ヨナス、アーペルの思想を概観してきた。その結果として明らかになるのは次のようなことだろう。すなわち世代間倫理の問題は、私たちが今のこの社会をどうデザインするべきか、という問題からしか導き出せない、ということだ。経済的な格差のない社会を理想とするなら、ロールズの思想と親和性が高いだろうし、「恩」の感覚を大切にするなら、フレチェットのそれと親和性が高いだろう。弱者に手を差し伸べることができる社会を望むなら、ヨナスの思想が適しているし、討議によって意思決定できる社会を望むなら、アーペルの思想が適している。しかし、これらのうちどれが最善であるかは決定できない。
むしろ、企業の理念として世代間倫理を考えるときに重要なのは、その首尾一貫性だろう。未来世代に対する考え方は、企業が現在の社会に対して抱くイメージと、完全に整合するものでなくてはならない。私たちは、いま、どんな社会を望んでいるのか。その理想像の延長線上でしか未来世代への道徳的配慮は語れない。この記事で紹介した様々な理論はそうした首尾一貫した説明するために役立てられるのではないだろうか。